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若葉会会員の皆様へ
時代の変わり目に立ち会って
大型連休の間、信州の山中に行きました。夜、屋外に出ると満天の星空がそこにあり、永年都会の
夜空の下で過ごしていた私にとっては目を洗われるような驚きでした。50年、否、千年変わらぬ天然が
そこにありました。
動かぬ北極星を見上げて考えました。歴史が大きく変わったと思うのは、後からふり返って、ああ、あの
時からだったと思うことであって、現在進行形ではなかなか捉えきれないことです。けれども私はいま、
時代の変わり目にいると感じます。それは2年前の3・11大震災と原発事故ゆえのことです。
私が教駒(当時)中学に入学したのは1960年4月。60年安保の年で、この5月、6月の時期に
高校生が土曜日の午後国会デモに出発するのを見送っていました。それから50年以上の歳月が過ぎ
遙かなところまで来た感があります。
1970年代80年代に、よく1億総中流意識と言われたことでした。それは50年代60年代に高度
経済成長を成し遂げ、その当時の20歳から40歳台の人々が70年代には社会の中心に座って福祉
国家を実現した所産といえます。戦争に敗けて平和の尊さを知った私たちの親はひたすら働き子どもが
安定した生活を送れる社会にすることを願っていました。
私たち団塊の世代は親たちや叔父たちの戦後復興の思いが理解できて、反抗はしながらも(学園紛争)
描かれたグランドデザインに沿って進んで来ました。
しかし、気がつくと失われた20年の中で実は貧富の差が広がる事態となっていたわけです。日本に
おける「覚醒」は貧富の格差を始めとする格差がこれほどまでに大きくなったこと、それを固定化する
社会システムになっていることに気づくことにあります。そこからめざすべき社会の姿を考え行動することに
なるのではないでしょうか。
今年大雪の中で行われた若葉会新年懇親総会のあとで、うれしい出会いがありました。尾身茂さんが
声をかけてくれたお蔭で、55期の方と懇談を重ね、55期、58期、59期を中心に55〜60期の
面々が企画する行事が実現しつつあります。この若い方々と話をしていると、駒場の自由闊達な
校風は50年たった今でも変わらず受け継がれているのだなと実感します。
このように見てきますと、30代、40代の方たちがこれから10年、20年日本が変貌して行くのを担う
ときになったとみてとることができました。その時のキーワードは「復興」と「格差是正」であります。
それは日本社会においては、3・11を忘れてはならないと思うからです。
2013年5月7日 若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
秋になって
9月の末まで猛暑日が続いた今年の夏でした。
9月に入ると大船渡からさんまをいただきました。脂がのってじゅうじゅうと気持よく煙がたちのぼりおいしく
いただきました。
10月に入り、ご近所の方からおすそ分けにお米をいただきました。宮城県産のささにしきでした。
早速いただくと大変おいしい。猛暑はお米にとってはよかったのかも。
このように被災地からの産物がだんだん増えてきたのがうれしいと思いました。まだまだ復興は緒についた
ばかり、否、山積する課題を前に苦心されているのが実情だと思います。
それでも徐々にこうした形で便りをいただくのはよかったと思いました。
日一日と秋が深まってきて、本棚から私の大好きな小林信彦さんのエッセイ集「セプテンバー・ソングのよう
に」(弓立社 1989年刊)を引っ張り出した。
この曲は映画「旅愁(September Affair)」の主題歌で、本の題名となっているエッセイは「旅愁」の内容
には触れないで、もっぱら映画評論家荻昌弘さんの想い出を書いたものですが、「五月から十二月までは
とても長い時間なのだが、九月を迎えると日々が短くなる、とは名曲『セプテンバー・ソング』の歌詞だが、
その意味を理解せずにうたっていたころが自分にもあったのだ、と、つくづく思う」と結ばれています。
しかし、敢えていえば、過去を懐かしむだけではなく、稔りを手にして暑い夏を過ごしたことをふり返り、寒い
冬を前にしてそのむこうにまた春が来ることに希望を抱くのが、よいのだと思います。
それにしても衣食足りて礼節 といいますが、その大前提は住まいがしっかりあるということだと思います。
冬を目の前にしてこの面での復興の遅れは一日も早く何とかしなければならないと思います。
2012年10月30日 若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
夏といえば高校野球
7月11日江戸川区球場に筑駒高校野球部の試合の応援に行きました。相手は都立城東高校という強豪チーム。
甲子園出場も経験しています。筑駒応援席は現役生、野球部のお母さん達そしてOBがたくさん詰めかけました。
城東高校はほぼ地元、迫力のある応援をしてびっくりさせられました。が、筑駒も負けてはいません。ブラスバンドを先頭に
にぎやかな真剣な応援をくり広げました。試合は1回にちょっとしたミスで出たランナーをきっかけに2点取られ、2回2点3回3点と
追加を許してしまいました。それでも3番加藤竜君がシャープな振りでヒットを打ち、胸がすかっとしました。しかし4回に6点をとられ
応援席も落胆の雰囲気になりました。次のバッターがカーンと打った球はピッチャー矢羽々君のグラブに見事に吸い込まれました!
すぐさま1塁に送球。ダブルプレー完成です。矢羽々君がうれしそうにガッツポーズをしました。次の5回は相手攻撃を3者凡退に
退け筑駒最後の攻撃に期待しました。残念ながら、実力の差はいかんともしがたく筑駒は点を取れず5回コールド敗けという結果
でした。けれどもチームの皆が完全燃焼したすがすがしい試合でした。
翌日の新聞には北から南までの数十試合の結果が載り東東京の最後の方に城東13−0筑波大駒場と出ました。たった1行
ですが、たくさんのプレーがそこには詰まっていること、同じようにあったであろう全国の球児の熱気を改めて感じました。
この暑い夏になると私は高2の夏の黒磯合宿を思い出します。サッカー部としては初の合宿をほぼ生徒だけでやり抜き実力を
つけたなと思っています。現在は7月21日からのサッカー部を皮切りに硬式テニス、水泳、野山を愛する会、山岳、陸上、剣道、
ハンドボール、卓球、野球、バスケットの各部が合宿をやっているとのことです。顧問の先生方は大変だと思います。若いOBが
応援に行っていることも聞きますとほっとします。スポーツに力を入れ生徒が心身ともに成長することを願っての教育にエールを
送ります。
2012年7月30日
若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
忘れない
-----復興支援なかでも福島支援を-----
あの大震災から1年が過ぎた。忘れない、忘れてはいけないと思う。巨大津波がきたことを。それ以前には東北の各地に 平和な生活、営みがあり直前まで2万人近くの人々が生き生きと暮らしていたことを。さらには、今でも仮設住宅できびしい 寒さと闘いながら、孤独にうちひしがれそうになっておられる方々がいることを。
先日福島県会津若松で若葉会の先輩で県の医師会長をされている谷雄三先生とお会いしました。昨年暮れの筑駒 医師の会でも報告されましたが、福島は地震と大津波の被災に加えて原発事故がいまだ進行中であり、瓦礫・土砂を片付け れば元の市街地・町・村建設とはいかないと危惧されています。そして「こころのケア」が重要になっているとおっしゃっていました。 私たちが復興支援でできることは何でしょうか。「中越地震のとき医師会で連絡をとって長岡の方が言ってることを聞くと『現金』 がいいんだなと思った」とおっしゃっていました。そのとおりだと思いました。しかしそれにこだわることはないと思います。 仕事があって簡単に動けない方が多いと思いますし、伝えるてだてがないという方もいると思います。それでも被災した方々が どんな状況にあるかを知ってその気持を少しでも理解することに努めるのも力になることと思います。
選抜高校野球の選手宣誓を聞いて涙しました。被災した高校生が「日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています」(石巻工業高校野球部主将阿部翔人さん)と復興へ勇気をもって向かう ことをよびかけています。 被災地の皆さんが復興に向けて進んでいるとき私たちは一人ひとりが機会を見つけて何かできることをなすことが大切だと思います。 福島復興には放射能の除染が欠かせません。19期の児玉龍彦さんの活動への協力もおおいに意義あると思います。
2012年3月23日 若葉会会長 藤村 元
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付記:選手宣誓(全文)
東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災をされた方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時の ことや、亡くなられた方を忘れられず、悲しみにくれている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは 苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っている と信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。 我々、高校球児ができること、それは、全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身 全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
平成24年3月21日 選手代表 宮城県石巻工業高等学校 野球部主将阿部翔人
(3月21日「毎日新聞」夕刊より)
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若葉会会員の皆様へ
絆
今年は3・11の大震災と原発事故によって日本が大きな苦難に直面しました。
あの数日間、家族や親戚友人を心配し連絡を取り合って、この時ほど絆を感じたことはありませんでした。
それから9か月、何とか復興へと足を踏み出しつつあるとき、早くも冬が訪れ寒さとのたたかいもしなければ
ならない厳しい状態となりました。
会員の沢山の方が、現地におられる方々を始めとして、それ以外の地域でも復興や原発被害からの脱却
のために、救援・医療活動を始め募金をしたりボランティア活動に参加したり、放射線測定や放射能除染
活動をしたり、あるいはチャリティコンサートや公演を開いたりそれに参加したり、またオピニオンリーダーとして
世論を喚起したりとさまざまな活動をされて私は心を動かされました。皆様の活動に敬意を表します。
私は日本シリーズを制したソフトバンク監督の秋山幸二氏の次の言葉にも心をうたれました。
「今シーズンは悲しい震災があってスタートしました。12球団が一丸となって勇気と力を与えることだと思って
やってきました」というもので、プロ野球界全体の気持を表わしたすばらしい挨拶だと思いました。
こうして日本の社会がさまざまな絆で結ばれて、震災と原発被害からの復興再生にむけてすすんで行く
のだと思います。復興を進めるうえで、昨年名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議
=COP10の議論を今一度振り返ってみるのが大事なことでしょう。
自然と人間との共生において日本では里山再生が重要なテーマだという指摘がありました。家族・地域
社会の絆を再建することが大切だと考える所以です。またその中にはこれからの社会を担っていく次世代の
人びと子ども達との絆を大切にすることも入っていると考えます。
若葉会として考えますと同級生という横のつながり、運動部などの部活を通じての縦のつながり、研究や
仕事を通じてのつながり等々さまざまなつながりが絆となって社会への貢献ができればと思います。
復興の道のりは平坦なものではないとは思いますが希望を持ち続けて力を合わせてすすむことかと思います。
2011年12月
若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
合言葉は希望
先の東日本大震災という未曾有の災害で命を落とされた方々に深く哀悼の意を捧げます。
そして今も困難な生活を送っておられる被災者の皆様に心からお見舞を申しあげます。
あの大地震から数多くの日が過ぎました。福島原発の事故は重大な事態を招いていて今も現場で必死の
作業をされている人達には頭が下がりますし、一日も早く安全を回復してほしいと願います。
そして各地で復興へむけて尽力されている方々へ声援を送りたいと思います。
今、若葉が光る季節となりました。学校は新入生を迎え、5月には高1・中1の田植えや中学1年生恒例
の校外学習(合宿)、6月には音楽祭と行事が続いて筑駒ならではの営みが始まっているようです。
激動の時代にあっても教育の場では落着いた時間空間が確保されることを望んでやみません。
私たちが生徒のころ(今から四十数年前)は男だらけの学校で紅一点の音楽の國分郁子先生(オカメ先生)
が熱心に指導されました。この時期になるとオカメ先生が教えてくださったシューマンの 「Im Wunderschoenen
Monat Mai」(美しの5月に)を思い出して口ずさみます。
また、この間テレビでは坂本九ちゃんのヒット曲「上を向いて歩こう」がよく出てきます。
つらい気持のとき「頑張れ、頑張れ」と言われても「いつまで頑張るの」「もう頑張れないよ」という人がいらっし
ゃると聞きますが、そんな時こうした歌や音楽、あるいは笑いがきっとその気持を晴らしてくれると思います。
そうしていつしか気持の中に希望が生れてくるように思います。
復旧・復興の動きの中にお医者さん、JR関係者、地元バス会社の支援等々に若葉会会員の名前を
見い出して心強く思います。
私たちは被災された方々に思いを寄せてこれからの復興にむけて一人一人ができることを積み重ねて行か
なくてはならないと思います。ともに希望をもって。
2011年5月 若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
東日本大震災 被災のお見舞い
3月11日の東北・関東大地震とそれに続く津波により大変な被害が生じております。
若葉会会員およびご家族の中で被災された方がおられたらと心配しております。皆様のご無事をお祈り
しつつご連絡をさせていただきます。
また、福島第一原発の事故による影響は今後も予断を許さない状況にあり、計画停電に伴う生活
不便も暫く続くことと予想され、心配な状況です。被災された方々に心からお見舞い申しあげます。
また、災害救援に第一線で携わられている会員もおられることと思います。心から敬意を表します。
ご不便・困難が続きますが、お互い連絡を取り合い、励ましあって難局を乗り越えたいと思います。
頑張りましょう!
2011年3月16日 若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
みのりの秋
猛暑が続いた今年の夏も終わり、秋が深まってきました。
先日天気のよい土曜日の昼下り駒場東大前の駅を降りると「かかしコンテスト 筑駒1B」というプラカード
がありました。ケルネル田圃をのぞきながら歩いて行くと高校生の一団がやってきます。
リヤカーを引いている生徒もいます。皆楽しそうな顔をしていました。この日午前中は中1、午後は高1が
稲刈りをしました。さぞかし汗をかいたことと思います。
また、10月29日文化祭の初日学校に行きました。次の日は台風14号で大変だったと思いますが
29日は曇り空ながらも順調に行なわれました。私たちの頃も文化祭は楽しい行事でしたが、今の筑駒の
文化祭は楽しいのはもちろんですが半端ではありません。一大プロジェクトと言えます。
門を入ってすぐの歩道でジャグリングを披露している、50周年記念館には長蛇の列ができていて見ると
高3喫茶部がお茶と手作りケーキを出していました。とても全部は見切れませんので中1のクラスルームだけ
を回りました。日本中の城を調査したもの、スカイツリーの模型、筑駒キャンパスの将来プランの模型と労作
ぞろいでした。ここは3クラスともクイズが出るので答えるのが骨でした。
そして中庭は舞台や食べ物の屋台があって多くの人が行き交っていて大変にぎやかでかつ楽しげでした。
学校全体が一丸となって取り組んでいると感じました。
こうした母校の行事を垣間見ると筑駒の生徒は勉強だけでなくスポーツやさまざまなことに熱心に取り組
んで仲間と協力しあって成長していることがわかります。
自主性を持たせながら教育している先生方がおられればこそと思いました。
2010年11月 若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
ご挨拶
5月に開かれた若葉会幹事会で会長に選任されました。引続きよろしくお願いいたします。
このホームページが開設されて半年が経ちました。HP委員会、事務局の尽力で充実しつつあると思い
ますが、会員の皆様の一層のご協力を得て発展させていきたいと思います。
最近、勤めていた会社の大先輩と大阪梅田で久しぶりにお会いしました。
80歳を超えた方ですが仲間で読書会をされていて近頃は「論語」を読んでいるとのことです。また、その
ちょっと前、山梨県にご近所から引越越して行かれた牧師さん夫婦にお会いしたとき「私はキリスト教に
入信する前(名前はお坊さんにつけてもらったし)中学生の頃は論語をよく読みました。いいですよね」という
お話を聞きました。ここ数年、私も論語を時々読んでいましたので我が意を得たりと思ったのでした。
時折、学校の行事で筑駒に行きますが、中学生、高校生のにぎやかな声が聞こえてきます。すると
学而篇冒頭のことばを思い出して、学び舎だな、ここで多くの朋友を得たのだなと自分のことをふり返り
いまの若い人びともまた同じだろうと快い気持になります。
「論語」は「・・むしろ古今を超越した、人生の知恵の書として、尊重されたのである」(吉川幸次郎著
『論語』まえがき。朝日選書)。
またひもといてみようと思っています。
2010年6月
若葉会会長 藤村 元
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若葉会会員の皆様へ
ご挨拶
若葉会では数年来の検討を経て2009年10月の幹事会でホームページ委員会設置が承認されこの
ホームページを開設する運びになりました。関係者の皆様のご尽力、とくに株式会社スキルパートナ様には
お世話になりまことに有難うございました。
若葉会は活動の目的に1)会員相互の親睦と向上、2)母校の発展に寄与する、を掲げていまして、
同窓会の常としては同級生の親睦が中心になるわけですが、世代を超えて親睦を図りながらその目的を
果そうと考えています。その意見交換、情報共有の場としてホームページの開設を企図したわけです。
また、社会に開かれた情報発信という意味から社会貢献につながる活動の一端を担う機能を果すものと
考えています。
会員の皆様にはこれらの趣旨をご理解いただき、皆なで作るホームページとしてどしどしご意見、情報を
お寄せいただきたいと思います。私どもは場を作ったにすぎません。皆様の力で実り豊かな農場・農園のような
若葉会のホームページに成長することを願ってやみません。
どうぞよろしくお願い申しあげます。
2009年12月
若葉会会長 藤村 元(14期)
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