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目次:   筑波大学附属駒場中学校・高等学校への系譜 
    母校文化祭を振り返って 
    「なぜ日本は若者に冷酷なのか」(24期山田昌弘著)を読んで  
    浜離宮便り 
 
   
   
         

 
 
   筑波大学附属駒場中学校・高等学校への系譜
                                   
                                        2017/03/25  1期生:高田光雄 


   □ 明治政府は「国力の増進は一に勧農にある」として農学校の必要性を強調し
     明治11年(1878年) 1月 駒場野に明治天皇の来臨を仰ぎ駒場に農学校を創設した。
     最初英国式の農業教育が行われ、後には独逸流に移った。政府は農事熟達者・船津伝次平
     を駒場農学校に迎え本邦農圃を経営し、外国招聘試業科教師ペクピーの指導する西洋農圃
     と競い合い、所謂混同農法を編みだした。
     駒場農学校を中核とし、西ヶ原に同一主旨で創立された山林学校が明治19年(1886年)
     駒場に東京農林学校が誕生し明治23年 (1890年) 東京農林学校を農科大学と改称し
     帝国大学の分科大学となるまで継続された。
     オスカー・ケルネル教授を明治14年(1881年)招聘、明治25年(1892年)迄、10年余、
     農芸化学の教育・研究に当った。自然科学の農学研究に駒場の水田を使い自ら実験
     する事を通じて日本農学の黎明期を創成された。

   □ 明治32年(1899年) 4月
     東京帝国大学農科大学内に農業教員養成所 設置 明治35年4月(1902年)に東京帝国大学
     農科大学附属農業教員養成所となる。

   □ 大正8年(1919年) 4月
     上記を東京帝国大学農学部附属農業教員養成所と改称。

   □ 昭和12年(1937年) 4月
     上記を廃止し農業教員養成所の14年間に亘る独立運動が実を結び、東京農業教育
     専門学校となる。(独立運動の内容不詳)

   □ 昭和22年(1947年) 5月
     東京農業教育専門学校に附属中学校 附設 25年に附属高等学校を附設

   □ 昭和27年(1952年) 3月
     東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校廃止に伴い
     本校は東京教育大学附属駒場中学校・高等学校と改称。

   □ 昭和53年(1978年) 3月
      東京教育大学 閉学 筑波大学へ発展的解消・移行に伴い
     本校は筑波大学附属駒場中学校・高等学校と改称。
     東京教育大学概要 閉学記念特集  昭和52年度  編 より

                                 
   付記

     昭和24年東京教育大学農学部へ。[近代農学研究・農業教育発祥の地」等々、
     幾多の変遷を重ねつつ、日本農学発祥の地として今に生きるケルネル田圃・歴史的
     遺産を保有する駒場に100年超の歳月が流れた。
     本校誕生70周年を迎える今、農に纏わる環境に在る我々はこれを機に改めて時代と共に在る
     「農とは何か」を深く考え、バイオテクノロジー、ハイブリッド農業、都市農業そして飢餓、
     食の安全、飽食、を合わせ幅広く考えてみる事が必要ではないだろうか。 (高田)


   
 

   母校文化祭を振り返って


                                 
 2014年11月26日 61期 塩澤拓斗



       秋も深みを増してくるころ、母校の敷地内には釘を打つ音が響き渡る。筑駒の秋の
      風物詩と化した、その音からは、母校を離れた今では言い様のないほどの懐かしさを感じる。

       文化祭は筑駒という学校の特徴を、本当によく体現している行事だと思う。来場者の数が
      三日間で一万人を越えるようになってから、今ではもう10年が経つ。時代の流れに沿って、
      文化祭も変わりつつある。最も顕著なことは、デジタル化が進んだことであろう。校内のポスター
      は大半がPC上でデザインしたものになっており、また、SNSを用いた文化祭の宣伝活動も
      行われるようになった。しかし、変化する中にあっても、本質は変わらぬままであろう。例として
      文化祭のための木材加工とペンキ塗装がある。木材を材木店から購入して学校に持ち帰り
      長さを測り、けがきを行い、のこぎりで切断し、金槌で釘を打ち付け、ベニヤ板を張り、最後に
      ペンキで塗装を行う。まさしく、文化祭のアナログな部分である。しかし、この作業がないと
      筑駒の文化祭が成り立たないことも事実である。また、ほとんど知られていないことであるが、
      文化祭実行委員会の本部には、何十年も前の文化祭パンフレットが残っている。今とは
      違って手書きで単色刷りであるが、ページをめくり、内容を読み込んでいくと、そこには今と
      変わらぬ筑駒生らしさ(生意気さ?)が感じ取れるものである。

       学校行事という名目であり、先生方のバックアップはあるとしても、筑駒の文化祭の自主
      的な面の強さは否定し切れない。文化祭では、生徒が自由にやりたいことを決め、自由
      に行える。団体の管理をするのも生徒であるし、全体を仕切る実行委員も生徒である。
      特に、数ヶ月後に受験を控えている時期に、高校三年生が一丸となって参加するという
      行事は他校ではそう見られるものではないだろう。高校三年生にとっての文化祭は、全体
      として収まりの良いものであると思う。特別班に分かれることで、誰しもが自分の居場所を
      見つけやすいのではないであろうか。卒業後も特別班単位で同窓会が行われるということも
      しばしばある。

       文化祭は、何百万円ものお金は動くといえど、結局のところ、学生達にとっては、ある種の
      自己満足でしかないかもしれない。ただ、そこでの記憶は一生大切にされる物でもあるだろう。
      文化祭当日の早朝の小田急線に揺られながら、寝ぼけ眼で駒場の駅まで来て、公園を
      横切って学校へと向かったときに見た朝日は、今でも鮮明に覚えている。同期で集まっても
      文化祭の話をする機会は多い。大半は他愛もない話で、幾度となく聞いた話である。ただ、
      懐かしさを共有するためには、大切な物に他ならないだろう。

       母校の文化祭が今後どのように変わっていくか分からないが、きっとその芯となる部分は
      絶えず不変であろう。母校を出てから2年しか経っていない自分だが、筑駒が既に懐かしく、
      想起されるのは文化祭のシーンであることが多い。


                                                  以上

        「文化祭を訪れて」はこちら

   
 

  「なぜ日本は若者に冷酷なのか」(24期山田昌弘著)を読んで


                                   
 若葉会副会長 30期 平野 純
                                                 2014年4月23日
              <東洋経済新報社 本体価格1500円+税>



       本書を懇親総会の会場で山田先生より若葉会に寄贈して頂いた。比較的最近の雑誌
      掲載記事を集めたものだが、本書では若者に社会問題のシワ寄せが来ている様子が描か
      れている。「パラサイトシングル」という新語の作者として若者に批判的と誤解されがちな山田
      先生だが、実際は若者の苦境に同情しており、抜本的な対策が必要と本書で主張されて
      いる。


     ●このままでは日本にもスラム街が?

       懇親会の講演で山田先生が述べているように、20世紀後半の家族モデルが崩壊し、現
      在の30代のうち、半数は一生結婚しないか、または離婚して孤独な老後を送ることになる
      という。

       しかし、いまだに専業主婦がいる家庭の価値観が横行し、若者に長時間労働を強いて
      いる。共働き夫婦は子どもは一人しか持てず、専業主婦の家庭ですら、教育費の負担か
      らせいぜい子どもは二人まで。これでは子どもが増えるはずがない。労働時間の制限と女性
      や高齢者が働きやすい社会の実現を急がなくてはならない。

       本書を読んで暗澹たる未来が浮かんできた。少子化で年金と生活保護は大幅に削られ
      合法的に生活できない人々が新宿の古いビル街を占拠しスラムになっている。仕事のない
      若者はギャング化し、一般の人間は近づけなくなる。仮に大量の移民を入れたところで、結
      果は似たようなものだろう。

       現在の日本社会が若者に家族を作らせない現実と、急激な少子化の恐ろしさを本書
      から感じた。


     ●農業を始めやすくして日本再生を!

       なにか、起死回生の策はないだろうか。そういえば、多くの日本人はほんの50年前まで
      農業で生きていたのではなかったか。母校はもともと農教附属だった。

       若者の税負担を軽減するためにも、高齢者が体を動かして健康を保ったり(医療費削減
      になる)作物を育てる生きがいとするためにも(作物は年金削減の補填にもなる)「自給程度
      の農業をしやすい国」にしてはどうだろうか。幸か不幸か、すでに埼玉県の面積に匹敵する
      耕作放棄地がある。今後も地方の耕作放棄地は増えるばかりだろう。

       かつてソ連は小農地(ダーチャ、一区画600平米程度)を国民に支給したそうだが、同様に
      国が耕作放棄地を一括して借り上げて、年金生活者に小農地付きコテージを「終身貸与」
      してはどうだろうか。いずれ年金は大幅に削減せざるをえなくなり、国としてもその代償を年金
      受給者に強く求められることだろう(必要なら国有林や耕作可能な国有地の開放も)。ドイツ
      のクラインガルテンも参考になる。

       また、都市住民には農作業は難しいので、日本の得意なIT技術や先端技術を使って農
      作業を簡単にできるようにする必要がある。実際、農林水産省では「スマート農業」と称して
      農作業を先端技術でアシストし、農作業経験のない人や高齢者でも容易に農作業を行え
      るようにする多くの施策を検討している(※1)。

       「農業に苦労は当然」と切って捨てるのではなく、誰にでも簡単に農業ができるようになった
      ら世界は一変するのではないだろうか。


     ●農業コミュニティで新しい家族も

       高齢者だけではなく、若年失業者や身体障碍者、生活保護受給者などにも小農園付き
      コテージを貸与して、農業コミュニティを作ることで、男女が知り合って結婚に至る機会も増え
      ると思われる。

       農作業で自信をつけた若年失業者は、大規模農業や都会生活にチャレンジする意欲が
      出るかもしれない。(すでにホームレスやニートに農業訓練を無償で行い、生活自立支援を
      行うNPOが活動している(※2)。主宰者にこの話をしたところ強く賛同して頂いた)

       夢のような話ではあるがぜひ日本の将来を真剣に考える政治家や農水省、厚労省、国
      交省など関係省庁の方々が協力して山田先生の懸念を振り払って頂けたらと思う。

      ご意見は メール:takaon(アットマーク)boreas.dti.ne.jp までお願いします。


    ※1 農林水産省 スマート農業の実現に向けた研究会
       http://www.maff.go.jp/j/kanbo/kihyo03/gityo/g_smart_nougyo/index.html

    ※2 NPO 農スクール
       http://know-school.org/



   


  浜離宮便り
                                 
若葉会ホームページ委員15期 羽鳥敏夫
                                                    2014年2月7日


    「若葉会委員コラム」欄は、委員からの気軽な情報提供の場として活用していくことになったことを受け
   ちょっとした情報の発信です。
    暖冬の影響もあり、今、浜離宮では早めに紅梅が咲き誇り始めました。また、菜の花も開花が進んで
   います。2月中旬から3月初旬にかけては、白梅も追いつき、菜の花の黄色と協奏した心豊かになる
   光景を目にすることができるでしょう。暖かい日に、是非散策にお出かけいただければとご紹介致します。
   

       


   浜離宮のサイト 
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index028.html


     




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